2011年04月29日

my daughter began to walk again

 娘がアルバイトをすると言い出して、面接に出かけて行った。大学受験はしたけれど、どこも不合格で、今年度は家におくことにした。今後どのように進んでいくかは、娘の選択に任せようと思う。(と、言いながらも、あれこれ口をだしてしまいそうだ。)娘から何をしていいかわからないと言われて、親の希望を押し付けすぎたかもしれない。娘は、受験生として生活していたときは、誰ともほとんど口をきこうとしなかった。最近は、娘から話しかけられる回数が増えてきた。正直言って、うれしい! 娘のためと言いながら、私は自分価値観を言っていたにすぎないのだろう。娘は、一年後の出発にどの方向を向いているのだろう。







ニックネーム happycats at 01:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

放射線について、いろいろ考えてしまいます

 福島大学では、いろいろな条件の元で放射線量を測っているそうです。放射線量は地面に近い地点でより高い値を示す、と聞きました。地上50cmと100cm、雨の日と晴れの日、乾いた地面と湿った地面、などと条件の違いで、当然のことなのでしょうが、値は違ってきます。(湿った土のある所、水のある所などでは、値は高いそうです。)なので、毎日放射線量の値が発表されていますが、福島市であっても場所によって違う値を示しているはずです。計測地点はどうやって決めているのか、などと気になってきました。
 計画的避難地域とか立ち入り禁止地域などが政府によって決められましたが、一律に原発から半径何kmの地域が対象という決め方は乱暴だと思いました。避難対象地区がきれいな円になるのがおかしい。地形や気象条件などで、放射線量は違ってくるはずです。現にいわき市や南相馬市は浜通り地方ですが、福島市より値が低いし、原発から30km以上離れている飯舘村のほうが高い値を示しています。事故直後、福島市(原発から約60km)での値は、20.00マイクロシーベルト以上でした。避難を言い出す前に、もっと肌理の細かい調査や計測をして決めるべきではないか、と思います。

 幼稚園、保育園、小学校や中学校では、屋外活動を制限される所が公表されて、文部科学省による説明会がありました。たくさんの保護者が出席したそうです。保護者たちは、放射線が今後子どもたちのの健康にどんな影響をもたらすかを心配しているのだと思います。その影響はすぐに現れるものではなくて、何十年も先の問題なのです。いつまでも不安を抱えて暮らしていかなければならないなんて...何としても少しでも早く原発事故を収束させてほしいものです。
 実は、私の住んでいる周辺が子どもたちが屋外活動を制限されている区域なのです。新聞を見たとき、「えっ~、なに、これ!」と思いました。そういえば、小学校からは子どもたちの声が聞こえてこないし、休み時間に外で遊ぶ姿も見えません。放課後も子どもたちを見かけません。春休み中は、外で遊んでいる子もいました。中学生は、校舎の廊下を走ったり、体育館でサッカーをしているとか。今年は、小学生の運動会も鼓笛パレードも中学生の体育大会も中止でしょうね。原発事故は、子どもたちの生活にも大きく影響しています。

 原発事故で放射線が漏れ出したことで、福島県は、日本のみならず世界中に名が知れてしまいました。他県に避難して行った人たちが、差別されたり、子どもがいじめられたり、車の乗り入れを拒否されたりといろいろ聞きますが、本当なのでしょうか。悲しい限りです。原発の事故では、福島県民は迷惑を被っている側なのに、なぜ差別されるのか理解できません。これも原発事故や放射線に関して正確な情報が提供されないためなのでしょう。まさか情報が操作されているなんて事は無いでしょうね? 正確な情報が示されることを望みます。


110417_164132.jpg
白い雪柳と赤い木瓜の花。メリーの散歩コースの堤防にあります。人の背ほどある大きな本物の花のオブジェ。どんなことがあっても、季節が来れば、花は咲きます。


ニックネーム happycats at 01:33| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

不安の種・・・空気中の放射線量

 空気中の放射線量の値について、今朝のニュースを見てショックを受けました。「ああ、ついにここまで来たか!」と。
 先日、福島県内の教育関係の施設での放射線量の計量が行われました。その結果から、文部科学省の指針に沿って、子どもたちの屋外での活動を制限するような事態が出てきました。この指示が出る前から、福島市の教育委員会は屋外活動を自粛するように通達していたようですが、福島県の県北地区でも放射線の影響を考えなくてはいけないことになってしまいました。現在の福島市の平均値は2.00以下になっています。原発事故の直後の値の1/10くらいの値ですが、通常に比べれば高いそうです。
 若い人たちのこれからはどうなるのか、心配になります。私自身は、このままここに住んでいてもかまわないと思っていますが、子どもたちの将来は気になります。まして、乳幼児のいる方たちやこれから出産をする方たちは、どれだけ不安を感じていることか!
 
 福島第一原発の事故の収束は先が見えない状態です。毎日のニュースも安心できる情報をもたらしてはくれません。かえって、不安は大きくなっていくばかりです。私たちに正確な情報は与えられているのか? 100%Yesとは言い切れないのではないか? 待つしかないのでしょうが、長すぎますね......期限が分からないのは、辛いです。
 
 

ニックネーム happycats at 14:39| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

花冷え

 先週から暖かい日が続いていましたが、今日は雨が降って寒い一日でした。この雨で桜の花は終わりですね。花びらが雨に打たれて、道路にたくさん落ちていました。
 あちこちの避難所では、寒かったでしょうね。昨日まではお天気がよかったので、たくさんの方たちがお花見を楽しんだようです。花はいいですよね、私たちを元気にしてくれます。
ニックネーム happycats at 00:05| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

地震のときのメりーと猫たち

 前にも書いたように、3月11日に大地震が起きたとき、私は家にいませんでした。そのときのメリーと猫たちの様子は次男から聞きました。メリーは、吠えなかったし、騒ぎもしなかったようです。でも、猫たちは家の中を走り回り、階段をせわしく上り下りしていたそうです。猫のほうが犬より敏感なのでしょうか?
その後も余震があるたびに、全部ではありませんが、猫たちは天井を見上げ、耳を立てて、狭いところへ潜り込もうとします。メリーは、特に驚きもしないで、寝ていることが多いです。
 この行動の違いは、犬と猫の生態の違いからくるものなのか、それぞれの性格の違いからなのかよく分かりません。でも、その違いを知ることは、これからも余震が続くと言われているので、どのように対応すればよいか考えるのに役に立つと思っています。

110408_1249461.jpg
 はな・もこちゃんが来てから、もう4年目になりました。このごろは、一日のほとんどをコタツの上で寝ています。もう14才くらいになったはずですが、食欲もあって元気です。地震があっても全然平気なようで、さすが長老!と感心しています。飼い主さんが飯舘村の出身で、弟さんは飯舘村にいると聞いていたので今後どうされるのかが、気になっています。

 110408_124913.jpg
 端午も2才になりました。あまりにも気持ちよさそうに寝ているので、見ているだけで幸せな気持ちになりました。毎日余震の揺れに気持ちがとんがってしまいがちですが、そんな気持ちをまーるくしてくれました。地震のあと、端午も含めて猫たちが私にくっついてくることが増えました。やはり、なんとなく怖いのでしょうか?

ニックネーム happycats at 01:08| Comment(0) | cats | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

東日本大震災 その3・・・地震後の一週間

 4月14日から、福島第一原発から半径10km圏内での捜索が開始されたそうです。付近は、あの日のまま。テレビニュースで見た黒いランドセルと4頭の痩せた黒い牛たちの姿が目に浮かんできます。
 あの大地震の日から、ちょうど一ヶ月の4月11日の夜に大きな余震がありました。その2、3日前から大き目の余震が続いていましたが、もう大きな揺れは来ないのだろうか、と思っていたところに、11日の揺れが来て、再び落ち着かない気持ちになっています。あと数ヶ月は、用心して暮らしていかなければならないですね。

 
 3月11日は、とても寒い日でした。幸いなことにこのあたりは停電にならなかったので、それほど不自由な思いはありませんでした。ところが、翌日から水が止まりました。2、3日で済むだろうと軽く考えていたのに、水道が復旧するまで一週間もかかって、水が出るまでが待ちどおしかったです。我が家では、ご近所で地下水を分けてもらえたのでとても助かりました。給水車が支所に来たのですが、水をもらうのに何時間も並ぶなんて、私にはとうてい出来ない事です。実家のほうは、10日ほどかかり、父は水道局に何度も電話をしたらしいです。「おとうちゃん、苦情を言っても仕方ないのに。」と思いながら、息子たちを手伝いにやりました。父は足が悪くて動けないので、すべてが母の仕事になります。実家でもご近所から地下水をいただいていたのですが、車がないので何回も往復するのは大変な仕事でした。母は水道が使えるようになってから、疲れが出て何日か調子が悪かったそうです。
 断水に関しては、私はラジオを聴いていたので分かっていましたが、知らない人もたくさんいました。市の広報車のようなものもまわって来なくて、必要な情報は得られませんでした。
 実家の両親が水をいただいていたお宅の人は、父の昔の教え子さん(父は小学校の教師でした。)であることが分かり、人の縁の不思議さも感じました。人間、いつどこでだれと出会うか分からないので、人との出会いは大切にしておくといいですよ。
 地震の当日はお店にまだいろいろなものが売っていました。でも、物流がストップしたせいで、次第にものが無くなっていき、お一人様○個まで、なんて制限が出て、お店の棚は空っぽでした。食料品にしても、生活用品にしても、物流が復活すれば少しずつでも元に戻るのはわかっていても、目の前の棚に何も無いのを見てしまうと、気持ちの余裕がなくなって、なんとしても手に入れなくてはならない、という焦りが出てくるのでしょうね。それで、必要以上に買い込んでしまう。私は、列二並んでまで買い物をするのがいやだったので、出かけていっても何も買わないで帰ってきたこともありました。
 しかし、米とキャットフードが足りなくなりそうになったときは心配になりました。いつも買い物に行くスーパーにはお米がなくて、どうしようとあせりましたが、夫が生協で買ってきてくれたので助かりました。人の食料より心配だったのは、猫たちのフードでした。メリーはご飯でもパンでも麺類でも食べるので、いざとなれば何とかなるだろうと思いましたが、猫たちはキャットフードしか食べないので、「ガソリンがあるうちに探してこなくちゃ!」と何件か探し回って、いつもの3倍くらいの量を買ってきました。今思い直すと、どうしてもっと冷静に考えられなかったのだろう、と恥ずかしくなります。2週間後くらいに米が山積みになって売られているのを見たとき、10kg袋を二つも買ってしまいました。ガソリンや灯油、牛乳や肉・魚、大好きな甘いものすら買えるようになるまで待っていようと我慢できたのに、『米とキャットフード』に関しては、気を揉みました。


 昔、私が学生で仙台にいたとき、宮城県沖地震がありました。あの地震から33年になるのだなぁ、なんて思い出していたら、今度の大地震が起こりました。今思うと、3月9日の地震も3月10日の地震も3月11日の大地震の前触れ、余震だったのでしょうか。これからも大きな余震の恐れがあるらしいので、気は抜けません。毎日毎日小さな揺れが続いていますが、日常の生活ができていることは本当にありがたいことだと思っています。

 110209_1620041.jpg   0n Feb.9
 
 地震が起こった頃は、まだ白鳥たちは残っていました。でも、地震の後は周りを見る余裕もなく、気が付かないうちに暖かくなっていて、白鳥たちは北の国へ帰っていきました。私たちが自然の移り変わりに気が付かなくても、季節は間違いなく移り変っていくのですね。
ニックネーム happycats at 15:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

考えたくない事・・・被災した動物たちは?

被災動物たちのことを思って、私には何が出来るのかと考えると、『思うこと』しかできないと気が付く。東北地方から関東地方の太平洋沿岸の各県では、地震と津波で大きな被害を受けた。岩手、宮城、福島では、想像もできないほどの人の命が失われた。地震が起こって、一ヵ月が過ぎても犠牲になった人たちの数は増えていく。為す術も無く命を無くしていった方たちのことを思うと、心が震えてくる。それから、動物たちのことを考える。これまでも大きな災害があるたびに、人同様に多くの動物達も犠牲になってきた。
 
 今の私の気持ちを正直に言えば、出来る事なれば、被災した動物たちのことを知りたくないと思ってしまう。知らなくて良いのなら、知りたくないと思う。犬と猫たちと暮らしているのに冷たい人間だと思われてもかまわない。 

 私は、犬が大好きだ。 犬と猫と比べてみると、逞しいのは猫だと思う。犬は、人と一体になれると思う。犬たちは人のきもちを読み、人に従おうとする。お互いに気持が通じる。だから、災害に遭った犬たちの姿は見たくない。目を覆いたい。

 人は、自らの生き方を自分で決められる。人と暮らしてきた動物たちは、その飼い主たちの生き方に左右されてしまう。つまり、私たちは動物たちと暮らすとき、彼らに対して責任を負う。しかし、今回のような想像もしていなかった災害が起きたとき、その責任を全うできなくなってしまうこともある。私は、それが怖い。怖いから、考えるのを止めてしまいたい。私のエゴだと思う。でも、どうしても考えたくないし、知りたくない。
 
 原発事故関連の新聞の記事で、原発20km圏内のようすを報じていた。『痩せた牛や犬』という文字。もういいと思った。記事は読んだ。記者が言いたいことは理解できる。でも、『理解』より『感情』が先になって、「なぜ動物たちの姿を描くのか? 書かなくてもいいのに! 書くなよ!」という気持ちが湧いてくる。的はずれな反応だろうな......

私にとって、犬や猫は最も身近な存在だ。彼らが苦しんだり、怪我をしたり、飢えて死ぬなどということは絶対に考えたくない。

 彼らを置いて、強制的に、何も知らないままに、何も知らされないままに避難しなければならなかった人たちの気持ちを考えると、悲しくて身震いするほど、やりきれなくなる。牛たちや馬たちを置いて行けないと、指示に従わないと言う人たちがいる。牛たちを残してきた人は、餌を与えるために自宅の牛舎に通っているそうだ。置いてきた猫たちの様子をみるために避難所から自宅へ毎週行っている人がいる。(もしかしたら、この女性は何年か前に動物の保護活動の講演会でお会いした方かもしれない。電話番号は控えていたのに、なぜすぐ連絡をしなかったのか、悔やまれる。)

 原発事故が起きたとき、いざという時は子どもたちは仙台の三男のアパートに行かせようと考えた。長男は、横浜にいるから、大丈夫だろう。夫はどこかへ逃げると言った。私は、犬のメリーと猫たちとここに残る。ダンナ様よ、おばあちゃんはどうするの、と突っ込んでやりたかった.....

 私は、ボランティアはできないと思う......

ニックネーム happycats at 16:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

いつもと違うよね

 4月になって、暖かい日が続いています。特に今週は気温が20度前後の日が続いて、桜の花も満開になりました。でも、今年は桜を見る目がいつもの年とはどこと無く違います。あの大地震の日から時の流れが変わってしまったような気持ちのまま毎日を過ごしていたので、桜の花を見て初めて「あっ、桜が咲いている。もうこんな時期になっていたんだね。」と気が付いたくらいでした。
  福島市は大きな被害がなかったし、日々の暮らしもほぼ日常に戻っているのだから、元の生活に戻らなくちゃならないと思います。でも、今、福島の人たちは大きな問題を抱えています。そう、東京電力の福島第一原子力発電所の事故が私たちの生活に影を落としています。この重大な問題が解決されない限り、私たちの日常は戻ってこないと思います。長い時間がかかるのは.....誰の目にも明らかです。
 地震、津波そして原発の事故。私はこれまではほとんどテレビを見ない生活をしていました。見るのは、ニュースとお気に入りのドラマくらいでしたが、3月11日以降は毎日テレビでニュースを見ています。内容的には同じような事をやっているとしても見ています。なぜなんだろう? 
 テレビでは、たくさんの人たちがいろいろな事を言っています。聞き言葉だけに限ったことではないのですが、『言葉』が私の心(=感情? うまく言えないのですが、直感のようなもの)に引っかかってきます。特に、政治家の人たち、彼らの言葉には心が無いのか、何を言いたいのか私には理解できません。原発の関係者の人たちの言葉もわかりません。彼らは、人に気持ちを伝えるための言葉を使っていません。彼らの言葉は、私に不安を与えています。『直ちには』、『〜と思います』、『〜ということです』、『〜しないほうがよいでしょう』等々、まあ、原発問題に関しては、誰も断定的な事は言えないのはわかっているつもりですが、何を信頼すれば良いのかがわからなくなります。言葉は、気持ちを伝えなければ、役割を果たしていないと、私は考えています。普段は、気にならないことが大げさなくらい気になってくるのは、たぶん、疲れているからかもしれません。答えは、もっともっと先にしかないのでしょう。これ以上、原発事故が大きくならないことを願わずにはいられません。

.[1]さくら2011
近くの小学校の桜。あっという間に満開になりました。暖かい日が続いたためか、もう散り始めています。


110209_1620551.jpg 
大気中の放射線量が気にならないと言えば嘘になりますが、毎日メリーと散歩に行っています。
ニックネーム happycats at 15:14| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

Ms.Gray's return on Feb.14

ぐれいちゃんは1月15日に家を飛び出していったのですが、一ヵ月後の2月14日に戻ってきました。この間、我が家にご飯を食べに来たり、Tさんの家に現れたりしていました。ぐれいちゃんにすれば、我が家よりTさんの家に行くほうが多かったようです。何度が出たり入ったりしていたらしいです。そんなことを繰り返しているうちに、2月13日にTさんがぐれいちゃんを捕獲!しました。その日のうちに避妊手術を受けさせてくれて、翌日に帰ってきたということです。
Tさんは、「この期を逃したら、チャンスはない!と思い、ぐれいちゃんと格闘して、捕まえた。」と笑っていました。ぐれいちゃんは、すでにおなかに子どもがいたそうです。この3年くらいの間にぐれいちゃんは何回出産したのでしょうか。野良をしている猫たちは、何度も何度も出産を繰り返して、命を縮めていると聞いたこともあります。ぐれいちゃんは、手術をしてもらって、穏やかにすごしているように見えます。2階の一部屋は、完全に<猫の家>になっています。
110221_120536.jpg


ニックネーム happycats at 23:46| Comment(0) | cats | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

東日本大震災 その2

3月11日の大地震の名称は『東日本大震災』と決まったそうですね。東北地方から関東地方まで広範囲の被害がありました。人々の生活が元に戻るまで、かなりの時間がかかりそうです。

原発事故の影響で地域の人たちの避難が始まってから、福島市の上空からヘリコプターの音が響いています。朝から深夜まで、一日どのくらいのヘリコプターが飛びかっているのでしょうか。ヘリコプターの大きさで「あれは自衛隊のヘリかなぁ?」とか「今度は取材のへりかなぁ?」などと思いながら見ています。でも、どうしてもあの音は好きになれません。なにか心が落ち着かなくなります。

犬(泣)3月11日の夜・携帯がつながらない!
 小学校から戻ると、メリーが何事もなかったように犬小屋から出てきて、しっぽを振って迎えてくれました。怖くなかったのかな、と思い、家にいた次男にきいてみました。「猫たちは騒いでいたけど、犬は静かだった。」とのこと。その次男はテレビを付け、パソコンを開いて、情報を集めていました。でも、この時点では、青森から千葉までの太平洋沿岸で何が起こっているのか、わかっていませんでした。
 この日は、娘は受験のために仙台へ行っていて、三男のアパートに一緒にいました。何度も何度も電話をしましたが、ぜんぜんつながらなくて、それならメールということで、メールをしました。今思うとあの時メールがつながったのは偶然だったようです。返事が返ってきたのは、何時間後だったのかな? そのあとは電話もメールもぜんぜんつながりませんでした。横浜の次男や義妹から確認の電話をもらいましたが、こちらからはつながらない。同じ市内の実家の電話は呼び出し音は鳴るもののこれもつながりませんでした。(あとでわかったことなのですが、実家のほうは停電のため電話が使えなくなっていたのです。)心配なので両親の様子を見に行ってみると、停電だと言って、ろうそくを立てて、夜ご飯を食べていました。一気に緊張がとけました。途中、道路の信号が消えていて、怖い思いをして、運転して行ったのに.....何なんだ!とも思いましたが、両親が無事だったので、まあよかったな、という気持ちでした。父に頼まれて、乾電池を買いに行ったのですが、どの店でも単一電池は売り切れでした。このときは、まだその後一週間、これまでなかった毎日を過ごすことになるとは、想像もしていませんでした。
 翌日(3/12)になってから、途切れ途切れでしたが、仙台の三男と連絡が取れて安心しました。アパートの人たちは避難所へ避難したらしいのですが、三男と娘はアパートにいたそうです。何を考えていたのでしょうねぇ?








ニックネーム happycats at 22:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする