2011年04月02日

東日本大震災 その2

3月11日の大地震の名称は『東日本大震災』と決まったそうですね。東北地方から関東地方まで広範囲の被害がありました。人々の生活が元に戻るまで、かなりの時間がかかりそうです。

原発事故の影響で地域の人たちの避難が始まってから、福島市の上空からヘリコプターの音が響いています。朝から深夜まで、一日どのくらいのヘリコプターが飛びかっているのでしょうか。ヘリコプターの大きさで「あれは自衛隊のヘリかなぁ?」とか「今度は取材のへりかなぁ?」などと思いながら見ています。でも、どうしてもあの音は好きになれません。なにか心が落ち着かなくなります。

犬(泣)3月11日の夜・携帯がつながらない!
 小学校から戻ると、メリーが何事もなかったように犬小屋から出てきて、しっぽを振って迎えてくれました。怖くなかったのかな、と思い、家にいた次男にきいてみました。「猫たちは騒いでいたけど、犬は静かだった。」とのこと。その次男はテレビを付け、パソコンを開いて、情報を集めていました。でも、この時点では、青森から千葉までの太平洋沿岸で何が起こっているのか、わかっていませんでした。
 この日は、娘は受験のために仙台へ行っていて、三男のアパートに一緒にいました。何度も何度も電話をしましたが、ぜんぜんつながらなくて、それならメールということで、メールをしました。今思うとあの時メールがつながったのは偶然だったようです。返事が返ってきたのは、何時間後だったのかな? そのあとは電話もメールもぜんぜんつながりませんでした。横浜の次男や義妹から確認の電話をもらいましたが、こちらからはつながらない。同じ市内の実家の電話は呼び出し音は鳴るもののこれもつながりませんでした。(あとでわかったことなのですが、実家のほうは停電のため電話が使えなくなっていたのです。)心配なので両親の様子を見に行ってみると、停電だと言って、ろうそくを立てて、夜ご飯を食べていました。一気に緊張がとけました。途中、道路の信号が消えていて、怖い思いをして、運転して行ったのに.....何なんだ!とも思いましたが、両親が無事だったので、まあよかったな、という気持ちでした。父に頼まれて、乾電池を買いに行ったのですが、どの店でも単一電池は売り切れでした。このときは、まだその後一週間、これまでなかった毎日を過ごすことになるとは、想像もしていませんでした。
 翌日(3/12)になってから、途切れ途切れでしたが、仙台の三男と連絡が取れて安心しました。アパートの人たちは避難所へ避難したらしいのですが、三男と娘はアパートにいたそうです。何を考えていたのでしょうねぇ?








ニックネーム happycats at 22:40| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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