2011年04月16日

考えたくない事・・・被災した動物たちは?

被災動物たちのことを思って、私には何が出来るのかと考えると、『思うこと』しかできないと気が付く。東北地方から関東地方の太平洋沿岸の各県では、地震と津波で大きな被害を受けた。岩手、宮城、福島では、想像もできないほどの人の命が失われた。地震が起こって、一ヵ月が過ぎても犠牲になった人たちの数は増えていく。為す術も無く命を無くしていった方たちのことを思うと、心が震えてくる。それから、動物たちのことを考える。これまでも大きな災害があるたびに、人同様に多くの動物達も犠牲になってきた。
 
 今の私の気持ちを正直に言えば、出来る事なれば、被災した動物たちのことを知りたくないと思ってしまう。知らなくて良いのなら、知りたくないと思う。犬と猫たちと暮らしているのに冷たい人間だと思われてもかまわない。 

 私は、犬が大好きだ。 犬と猫と比べてみると、逞しいのは猫だと思う。犬は、人と一体になれると思う。犬たちは人のきもちを読み、人に従おうとする。お互いに気持が通じる。だから、災害に遭った犬たちの姿は見たくない。目を覆いたい。

 人は、自らの生き方を自分で決められる。人と暮らしてきた動物たちは、その飼い主たちの生き方に左右されてしまう。つまり、私たちは動物たちと暮らすとき、彼らに対して責任を負う。しかし、今回のような想像もしていなかった災害が起きたとき、その責任を全うできなくなってしまうこともある。私は、それが怖い。怖いから、考えるのを止めてしまいたい。私のエゴだと思う。でも、どうしても考えたくないし、知りたくない。
 
 原発事故関連の新聞の記事で、原発20km圏内のようすを報じていた。『痩せた牛や犬』という文字。もういいと思った。記事は読んだ。記者が言いたいことは理解できる。でも、『理解』より『感情』が先になって、「なぜ動物たちの姿を描くのか? 書かなくてもいいのに! 書くなよ!」という気持ちが湧いてくる。的はずれな反応だろうな......

私にとって、犬や猫は最も身近な存在だ。彼らが苦しんだり、怪我をしたり、飢えて死ぬなどということは絶対に考えたくない。

 彼らを置いて、強制的に、何も知らないままに、何も知らされないままに避難しなければならなかった人たちの気持ちを考えると、悲しくて身震いするほど、やりきれなくなる。牛たちや馬たちを置いて行けないと、指示に従わないと言う人たちがいる。牛たちを残してきた人は、餌を与えるために自宅の牛舎に通っているそうだ。置いてきた猫たちの様子をみるために避難所から自宅へ毎週行っている人がいる。(もしかしたら、この女性は何年か前に動物の保護活動の講演会でお会いした方かもしれない。電話番号は控えていたのに、なぜすぐ連絡をしなかったのか、悔やまれる。)

 原発事故が起きたとき、いざという時は子どもたちは仙台の三男のアパートに行かせようと考えた。長男は、横浜にいるから、大丈夫だろう。夫はどこかへ逃げると言った。私は、犬のメリーと猫たちとここに残る。ダンナ様よ、おばあちゃんはどうするの、と突っ込んでやりたかった.....

 私は、ボランティアはできないと思う......

ニックネーム happycats at 16:34| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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